染織こだま 児玉健作さん 奈良県からUターン
2016.07.06
児玉健作さん
- Uターン
- 起業
宮崎は、まだ手を加えられていないキャンバスのような街。これからどんな色にでも染められるんです。
知らないものを知りたい、見たことがないものを見たい。そんな好奇心から、高校卒業後は県外へ行きました。歴史への興味から、文化財学科のある、奈良市の大学へ進学しました。両親は、宮崎市で「染織こだま」という着物店を営んでおり、幼い頃から身の周りには着物が溢れていました。ただ私自身、着物に興味をもったのは、成人式からでした。自分で着ることができず、また、乱れた際に整えることもできずに、悔しい思いをしました。そういうこともあり、好きな時に自分で着られたらきっと楽しいだろうな、と考えるようになりました。
当時、奈良市のリサイクルショップには男性物の着物が豊富にあり、ウールなどの素材でできた着物を安価で手に入れることができました。そこで得た着物を、インターネット上の情報で着方を覚え、普段から着るようになりました。友人も巻き込みました。大学で着物のサークルを立ち上げると、どんどん着物仲間が増えていきましたね。着物イベントを行うことで、都市間交流も体験しました。
後半すっかり着物にはまった学生生活。卒業後は、家庭の事情もあり、Uターンすることになりました。県内企業に就職し、3年勤めた後に、家業を継ぎました。何か目標や目的があってUターンしたのではなかったので、どう生きようか悩むこともありました。でも「自分が住みやすい環境は自分で作ればいい。よし!宮崎を面白くしてやろう!」と発想することにしました。奈良で行っていたような着物イベントを県内各地で開催し、宮崎でも着物を普段着にするようにしました。
食や地域の観光名所と着物を掛け合わせることで、自然と宮崎でもカジュアルな着物文化が広がっていっています。今では、県外からもイベント目当てにお客様がいらっしゃいます。
宮崎市中心部は、もともと池や沼、田畑があった地域で、県庁所在地にしては珍しく、城下町であったという歴史がありません。中近世にかけて他県にあるような特徴的な色合いがなかったというのが、特徴なんです。一方で、日向神話という強いバックボーンがあります。つまり、あまり手を加えられていない、土台のしっかりしたキャンバスを与えられているようなものです。これからどんな色にでも染められるんです。
私の行う「着物」という切り口でのイベントやアピールは、どちらかと言えば京都や浅草の得意技。また、距離と位置に由来する物理的な条件は、どうしても他の大都市圏に負けてしまい、不便さはぬぐいきれません。だけど、「このイベントがあるから宮崎に来ました!」「宮崎初めてきました!これがなかったら来なかったです」と県外の多くの方に言っていただけるくらいのコンテンツになりました。切り口さえ工夫すれば、宮崎でも他県に負けない、多様な武器を作ることができます。
宮崎に帰ってきて、退屈したことは1度もないんです。宮崎は、狭い・早い・近い・濃い、そして良い意味で緩い。だからこそ、何かを創造するのに障壁は少ないと感じています。今は「会社が終わったら、着物に着替えてニシタチに繰り出す」そんな文化も、地域の皆さんと織りなしたいなぁと思っていますよ。
プロフィール
【お店の情報】染織こだま公式ウェブサイト
1980年生まれ、宮崎市出身。県内の高校を卒業し、奈良県の大学へ進学。在学中に着物の魅力を広める活動を行う。卒業後、宮崎県内大手交通企業へ就職。3年勤めたのち、2007年、家業である「染織こだま」を継ぐ。地域を発展させる着物文化の普及も行っている。