宮崎市移住センター宮崎市移住センターでは宮崎市での暮らしの魅力や移住・交流の情報を発信しています。
移住前も、移住後も。宮崎市移住センター

地域コーディネーター 大久保万紀子さん 埼玉からUターン

地域コーディネーター 大久保万紀子さん 埼玉からUターン

2016.07.08

大久保万紀子さん

  • Uターン
  • コミュニティ
  • 地域活性化

宮崎の人が当たり前と思っている環境は当たり前なんかじゃない

宮崎って学校にPTAがあるのが普通ですよね。でも、県外特に都心部は仕事で忙しく親御さんが集まれないからという理由で、PTAという組織がない所が多いです。以前住んでいた埼玉でも、息子が通っていた学校にPTAはありませんでした。その為、備品は古くてもそのまま、遊具が少ない、先生達も多忙で手がまわらない環境でした。

 地域の子どもたちも、学校の門から中に入らない子や、泣いちゃう子もいたんです。その様子を見て、「これじゃいけない。子どもたちが行きたいと思える環境にしなくちゃ! 行動しなきゃ!」と思いました。

初めは、同じような考えを持つ親御さん数名と学校応援団を立ち上げました。ただ、学校の備品を揃えたり遊具を設置したりする為には資金が必要です。その為、学校でバザーを開いたり、祭りを企画したり地域の方を巻き込んで色んなイベントを1年間必死に行いました。結果、多くの方のご協力によって資金が集まり、教育環境の改善に役立つ事ができました。

その後、私の行動や実績を見た市役所から声がかかり、是非地域おこしをやって欲しいと頼まれました。もっと地域の人達の為に役に立てると思っていた矢先、あの3.11の大地震が起きました。原発の問題や実父の病状悪化もあり、母子で宮崎へ一時避難しました。

埼玉での慌ただしい日々、災害での恐怖で心身ともに疲れていたのですが、宮崎の風景は見ているだけで癒され、元気がみなぎってきました。夫も息子も、「空が広い!」と凄く感動していました。都心部だと高層ビルの間の空しか見ていなかったので、宮崎の開けた青空がとても印象的だったようです。

そして宮崎には当然のようにPTAがしっかり設立されていて、校内の環境も綺麗に整えられ、子ども達ものびのびと過ごしています。給食も美味しく、量がたっぷり食べられると大変感動していました。新鮮で美味しく安心して食べれるお野菜も、都会では信じられない価格で購入できます。もともと宮崎に生まれ育ちだった私にとって、宮崎で当たり前と思っていた環境は、実は当たり前じゃないんだなと改めて知りました。

宮崎に移住した方々と繋がりたいと思い、まずは『うみがめのたまご』という団体へ参加しました。そこから更に、地域の方に交流したいと思い、住んでいる地域でこども会の会長として参加し、翌年は自治会役員になりました。普通なら、他県から来た者を役員に入れてくれる事は少ないと思います。でもその逆で、とても歓迎して下さったんです。宮崎の人は本当に温かくて、「何か困ったことない?」と自分事のように心配してくれたり、お世話してくださったことを移住して5年経った今でも忘れられません。

こども会では今までにないイベントを企画して大変盛り上がりました。実は幼い頃から父に詩吟を習い、10歳から大勢の前で披露したり、舞台裏の動きなどを見て過ごしていました。その経験があるから、今のイベント企画などで役に立っているのだと思います。息子にも同じように、「宮崎の人のために恩返ししなさい。多くの方に元気を分けられるような人になりなさい」と日頃から教えて、時折老人ホームなどに飛び込みでバイオイン演奏をさせて頂いてます。温かく皆を受け入れてくださる宮崎ならではだと思っています。

宮崎に戻ってきて、本当に良かったと思っています。自分がやりたい事が、以前に比べて断然実現しやすくなりました。宮崎って、「こういう事がしたい!」と言うと、どんどんそれに関係する色んな人と繋がることができる素敵な地域なんです。今勤めている会社からは、自分の活動をしながら自由な時間にお仕事に入れるようサポートしてもらってます。移住6年目に入り落ち着いた今、私なりに宮崎の応援をして、地域の活性化に尽力したいと思っています。

プロフィール

宮崎市生まれ。埼玉の学校でのPTA設立や地域活性化の為に奮闘するも、3.11の影響により宮崎へUターン。宮崎の温かな方々のサポートを受けながら、着物でこども達への読み聞かせや木工教室などの開催など、行動力と企画力を活かし、地域活性化のために精力的に活動されている。

TOP