移住前も、移住後も。宮崎市移住センター

コンフォートダイナー 取締役 副社長 竹井倫世さん 東京からIターン

人生の楽しみを教えて頂いていると思う

私は東京でアパレル関係の仕事をしていました。夫は同じ会社の先輩で、私の直属の上司の結婚式で話したのがきっかけで仲良くなりました。交際が始まりしばらくして、夫が宮崎出身であることを知りましたが、一度も行ったことがないので「そうなんだ」ぐらいに思っていました。
しばらくして、夫は会社を辞めて居酒屋で働きながら調理師学校へ通い始めました。調理師免許を取得した後、宮崎へUターンし、実家のうなぎ屋さんを手伝いながら飲食の修行に取り組んでいました。つまり、遠距離恋愛が始まったのです。

私が宮崎へ行くことがほとんどでしたが、観光する気分で行ったので、全然苦ではあませんでした。2人とも美味しい物を食べることが大好きなので、宮崎で美味しいと評判のお店を渡り歩きました。

一番衝撃的だったのは「じどっこ」ですね! 最初に黒く焼かれたものを目の前にして、「これイカスミで作ったのかな?」って思いました(笑)。ところが味は信じられないくらい美味しくて、宮崎に来なかったら知り得なかったと思います。ウナギも美味しいですね! 関東は蒸すのが主流ですが、こちらは炭火焼で皮がパリッとしていて凄く感動しました! 宮崎牛に至っては、もう全然美味しさが違うんです。何度も美味しい宮崎の食べ物や観光を楽しみ、いざ結婚をしようと話になった際、宮崎へ嫁ぐことに何も抵抗はありませんでした。宮崎が大好きになっていました!

会社を辞め、宮崎に来たのは良いのですが、その時点でまだ入籍していなかったので、しばらくは宮崎市でアパートを借りて一人暮らしをしました。知り合いに、「自営業の方に嫁ぐなら、経理や簿記など勉強していた方が後々良いよ」と言われ、職業訓練校で経営の勉強をしました。同じクラスで学んだ仲間が、宮崎市に住んで初めての友達となり、今でも仲良くさせてもらってます。その土地で働きたいなら、その土地にある職業訓練校など行かれた方が良いと思います! 人脈も増えるし、その地域ならではの事が学べますよ! そうして半年間学んでいる最中に入籍し、卒業後に夫の実家へ嫁ぎ、同居生活が始まりました。

お義父さんお義母さんとの暮らしの中で、宮崎での生活や風習、お付き合いなど色々教えてもらいました。宮崎弁もその時に教えてもらいましたが、どうやらなまりが強く友達から「宮崎市でもそんな言わんよ」と笑われます(笑)。私にとって、同居させて頂いた2年間はとても素晴らしく、感謝しています。しばらくして、夫は独立して宮崎市へお店を出したいと思うようになりました。そんな彼を、ご両親は「頑張れ」と背中を押してくださいました。「ご実家のように美味しいうなぎと、美味しい鶏と宮崎牛を、お酒を飲みながら気軽に楽しんでもらいたい」という思いで 1 店舗目を開店しました。

開店するにあたり、資金も限られている私たちは、商工会議所のサポートを頂きました。今でいうクラウドファンディングのようなもので、中古や要らない物を必要な人へ譲り、創業を応援するというものでした。色んな方のサポートを頂き、お陰様で、今では8月末から始めたお弁当屋さんも合わせて7店舗経営させて頂いております。台湾にも店舗を置き、宮崎の食の魅力を伝えています!

食のイベントも開催していますが、宮崎の面白い点は食関係の人だけでなく、様々な業種の方が参加し交流があることですね! 都会だと、物や情報が溢れ過ぎて、探すにもかなりアンテナを張っていなきゃ見つけきれず、その業種の方ばかりになる事が多いです。宮崎は、すぐに打ち解けあえる気さくな方が多いので、一人で参加できる気楽さが異業種交流に繋がっているのだと思います。

そして、世間は狭いと言いますが、宮崎は繋がりたい人とすぐ繋がれる! 本当にびっくりしますよ! 何をするにも、人との繋がりがあれば、色んな事にチャレンジできます。今でも、宮崎の魅力や可能性を知るばかりで、やりたい事があり過ぎて大変です!
こちらに来てから、私は人生の楽しみ方を教えて頂いてるなぁって凄く思います。大好きな宮崎の人のために、これからも九州・宮崎自慢の食を多くの方に知って頂き、楽しんでもらえるよう頑張っていきたいと思います。


プロフィール

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東京都出身。ご主人のUターン、ご結婚をきっかけに宮崎へ移住。株式会社コンフォートダイナー 取締役 副社長。フードビジネスコーディネーター、フードアナリストの資格を持ち、食に関する熱い想いと豊富な経験から、未来の食づくり・人づくりのために、宮崎のみならず多方面で幅広く活躍されている。

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