移住前も、移住後も。宮崎市移住センター

「多拠点で暮らす」豊かなLIFEを宮崎で

時代の流れとともに変化していく暮らし方。リモートワークが増える昨今、好きな場所を行き来して充実したライフスタイルを送るお2人にリモート対談でインタビューしました。

株式会社ケンロック 岩切 剣一郎(47歳)

宮崎県宮崎市出身。株式会社ケンロックCEO。一級建築士。施工の現場から設計の世界に入り、独学で一級建築士に。現場経験やサーフィン・バイク・ゴルフ・音楽など幅広い趣味を活かし、クライアントの要望に沿った空間づくりを行う。宮崎市一ツ葉の「THE BEACH BUGER HOUSE」の設計などを手掛ける。

GLIDER 志伯 健太郎(44歳)

宮城県出身。クリエイティブディレクター。イタリア・ローマ大学建築学科で建築デザインを学び、2000年電通入社後、クリエイティブ局配属。CDC局にて数々のCMや映像を手掛ける。72andSunny,Wieden+Kennedyを経て2011年クリエイティブブティックGLIDERを設立。慶應大学SFC特任准教授、宮崎県日南市特命大使。

■宮崎市に関わるようになったきっかけは?

岩切さん:宮崎市佐土原町出身で、いつも「日本のカリフォルニア“宮崎”生まれだよ。」と言うようにしていました。すると自然に、宮崎の仕事も入ってくるようになり、頻繁に東京と宮崎を行き来するようになりました。

志伯さん:趣味のサーフィンで長年宮崎市に通っていました。5年くらい前に知人の紹介で日南市の案件に関わるようになり、そこから来宮回数が増えてきましたね。今は日南特命大使という役割を担い、日南市のブランディングをお手伝いしています。宿泊や会食で宮崎市に滞在することが多いので、ニシタチも好きでよく街に出かけます。

■デュアル移住の魅力は?

岩切さん:「生活拠点を1つにする」というライフスタイルの概念は今度なくなるのではないかと思っています。僕がよく行くカリフォルニアの人たちは、温暖な気候が好きでそこに住んでいると口を揃えて言います。

彼らは、その気候と同じように大らかで幸せそうな人が多い。それは宮崎でも同じことが言えるような気がしていて、気候と人の心理は関係しているんだなと感じますね。宮崎に来るとほっとする、そこにはそんな魅力があると思います。

志伯さん:僕は、新しい形の単身赴任みたいな物が増えたらいいんじゃないかなと思っています。家族で田舎に引っ越して、たまに都会に仕事に行くような。いわゆる、“デジタルの進化”は「土地に縛られない=好きな土地を自分で選べる」ということを可能にした人類の進化とも言えるのではないかと思います。

■宮崎市の未来予想図

岩切さん:宮崎市は、これからもっと素敵な街に変わっていく可能性秘めていると思うんです。移住するにも、もっとハードルを下げてあげる必要がある。まず体験をして、だんだん地元のことを知り、人の温かみ、その土地の生活を知ってもらいたい。そこで移住しようと思う人もいると思うし、僕たちのように通おうと思う人もいると思うので、僕はそういう場所を宮崎に作っていきたいなと思っています。

志伯さん:移住を決意した人は、その街が好きだから選んだという方が多いと思います。宮崎に限らず、どの街もそうですが、「強いこだわりで自分が選んだ街なんだ」という意思が強ければ強いほど、文化的で、魅力的な街に育っていく。宮崎の魅力に反応した人たちが集まり、その魅力や文化が底上げされていくスパイラルができたらいいなと思っています。

岩切さんがイメージする「宮崎カリフォルニア化計画」
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