移住前も、移住後も。宮崎市移住センター

長谷川水産 魚仕立て屋 津本 光弘さん 大阪からIターン

究極の血抜き「津本式」で、宮崎の魚を世界に届けたい!

 大阪で生まれ育ち、20歳のとき、宮崎にやってきました。当時サーフィンが好きで、環境が整っている宮崎県に何度か訪れていたことが移住を決めるきっかけになりました。街と海が近い宮崎が大好きで、どうしても住みたかったんです。移住後、知人の紹介で市場で活魚を扱う仕事を始めることになりました。僕は小さい頃から魚釣りが大好きで、将来は「漁師」か「魚屋」になろうと思っていました。

 はじめは活魚を扱い、その後鮮魚も扱うようになりました。そうした市場での仕事をきっかけに、様々な職人の方々との出会いもあり、自分の基盤ができていきました。また、漁師や魚屋は早朝から昼過ぎを中心としたワークスタイル。仕事後にサーフィンに行くこともできるので、サーファーの方にとっては最適な環境だと思います。

 活魚や鮮魚を扱う中で、あるとき狭いケースに敷き詰められた魚たちと目があったんです。「あぁ、この魚たちは死ぬために、裁かれるために生まれてきたんやな。辛いやろうな。」と胸が締め付けられる想いになりました。「これで美味しくないって言われて食べてもらえないほうがよっぽど辛い。僕が美味しい魚にしてやらないかん!」そう考えて、徹底的に魚を美味しく捌く技術を追求しました。

魚の臭みの原因は「血が腐ってしまう」ことにあると気付き、水を使って完璧に血抜きをすることで、旨味を最高潮にもっていた熟成魚を生み出せるんじゃないかと考え、試行錯誤した上で生まれたのが「究極の血抜き津本式」でした。

実は、魚に水をかけるのはご法度なんです。しかし僕は誰かに指導を受けた経験があまりなかったので、平気で水を使ってしまっていました。しかし後になり、それがこの技術を生み出す要因になったのです。

 そしてお客様にもこの様子を見て欲しいと考え、Youtubeを始めました。配信を続けているうちに、ある著名な料理人の方から、僕の魚が欲しいというお話をいただきました。

それをきっかけに、より多くの方が観てくれるようになりました。昔は技術を秘める傾向にありましたが、今はシェアすることで世界が広がると思います。技術のシェアと同時に宮崎の魚の美味しさを発信することで、宮崎の天然魚だけでなく養殖魚のポテンシャルの高さも多くの方に知ってほしいと思っています。

漁獲量や人員的にも、衰退産業と言われがちな魚産業ですが、僕の発信をきっかけにもっと価値を上げていきたいです。宮崎の養殖技術はとても高くブランド魚も素晴らしいものが多いのでもっと発信していく必要があります。今、やっと全国の方に宮崎の養殖魚が認知され、評価があがってきています。

宮崎に移住して、もう長く立ちますが、いつみても宮崎の空の青さは素晴らしいです。もう宮崎から離れることは考えられないですね。日曜には犬を連れて、いつもバーベキューをしています。ちょっと車を走らせると大自然を楽しめる。やりがいのある仕事があり、すぐ近くには自然あふれる環境があるという点が、とても住みやすく魅力的なところだと思います。

 これまで走り続ける中で、たくさんの失敗もしました。それでも「人を喜ばせたい、宮崎の魚を美味しく食べてもらいたい」という強い想いでここまでやってきました。移住や新しい挑戦を迷っている人にも、自分にプラスになるものだけを見て、突き進んでもらいたいですね。

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