移住前も、移住後も。宮崎市移住センター

古着PRELOVED CLOTHING SHOP”YA” 富川 靖子さん 大阪府からのUターン

不安をかき消してくれた宮崎の人たち

お店をする意味が地元以外では見つけられなかった

高校卒業後は県外の大学でデザインを専攻していたのですが、帰省するたびに昔の遊び場だった古着屋や雑貨店がシャッターを閉め、どんどん街が寂しくなって行くのを感じました。その時「若い人たちが戻ってくるような何かを自分がしなきゃ」と思ったんです。当時は自分にできることが何かわからなかったのですが、思い返せば今に繋がるきっかけだったと思います。大学卒業後も、なにかが胸に引っかかったまま、東京の番組制作会社でADをしていました。今思えば凄まじい日々で、終電で帰れたらラッキーと感じるほど、多忙な日々でした。

ただ、そんな必死な毎日の中に、成長するきっかけが本当にいくつもありました。自分の興味のあることしかやってこなかった私には、番組を作るために興味のない分野を徹底的にリサーチしたり、撮影しないといけないという事が最初はとても苦痛でした。でもある時、「あ、興味ないと思ってたけど、もしかしてこれって面白いかも」「なんで今まで、興味のないことは自分の頭に取り入れようとしなかったんだろ?」って、パーっと自分の固定概念や世界観が変わっていくのを感じたんです。このことに気づけたのが、AD時代の1番の発見でした。そんな日々を過ごしながらも、宮崎で自分にできることってなんだろう?ということを、ずっと考えていました。でもある時”そういえば、ずっと昔から古着だけは変わらずに好きだな”ということに気づいたのです。「これだけ無意識に続いた”好き”ならこの先も一生好きだろう」という単純な理由から、まずは古着屋を始めてみよう!と思ったのが始まりでした。その時やっと、1本の大きな軸が見えた気がしたんです。でも、ただ古着屋をするだけだと、もともと宮崎を盛り上げたいと思っていた自分の考えに沿わないなぁ、って。1つ決まってはまた悩んでの繰り返しで、なかなか1歩目が踏み出せずぐるぐるしていた時期でした。

 番組制作会社を退社後、東京のデザイン会社に勤めていました。ここでの出会いもまた、私の人生観や価値観、そしてその後の人生をがらりと変える出来事が盛りだくさんの毎日でした。濃すぎてここでは話しきれないので、気になる人は個人的にまた聞きに来てください。
その後独立してデザインの仕事をしながら宮崎での古着屋オープンに向けて、まずはWEBショップを開設しました。商品は、今まで収集してきたものに加え、自分の足で海外や古い商店街などを周って集めていて、そろそろ古着屋のオープンに十分な数が集まっってきたかなというタイミングで、今の物件に出会いました。近所の古着屋さん同士がとても仲が良いのも心強かったです。相談に乗ってくれる人もたくさん周りにいたので、迷わずその物件にしようと決めました。

店舗を持つときに一番不安だったのは、”私が好きだと思うテイストが宮崎で受け入れられるかどうか”ということでした。私が高校生だった頃の宮崎は、都会のファッションは雑誌の中の世界の出来事、憧れるけどそんな格好で宮崎の街を歩くことは誰もしてないし、目立つからちょっと恥ずかしい。といった考えが一般的だったと思います。でも、すっかり時代は変わってしました。今は年齢は年齢や性別関係なく、本当に自由なファッションの人が増えた気がします。私のお店があることによって、さらに、もっともっと、自分推したい格好を自信を持ってできる街になっていければ嬉しいなと思っています。

そして、古着以外の事で私にできることといえば、デザインやディレクション。今後はこのスキルを活かした事で宮崎に関わっていきたいと思っています。イベントなどの開催、古着に興味がなくてもお店や街中に人が集まるようなきっかけも作っていきたい。お店を介して人と人が繋がって、「こんな面白いことしようよ!」なんてアイデアが生まれる場所にすることが今の目標の1つです。

宮崎の人は、困ったときになんでもためらいなく助けてくれます。優しさと楽しさの溢れる街で、やりたい事がマッチすればどんどん人が繋がっていってすぐに形になります。移住を考えている方、特にUターンを考えている方、しかも実家が宮崎市にある方は、悩む必要なし!1秒でも早く帰ってきて、やりたいことにチャレンジしてほしいです。


プロフィール

1986年生まれ。宮崎県出身。東京で番組制作会社、デザイン会社で勤務。震災を機に本社が大阪に移ったタイミングで、大阪へ移住。その後独立し、デザイン仕事を行いながら、夢であった宮崎での古着屋をオープン。

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